本文へ移動

スタッフブログ

雪の尾頭峠と”平塚らいてう”

2019-03-08
カテゴリ:その他
尾頭峠
雪の尾頭峠
今日の尾頭峠は雪模様。
雪の尾頭峠といえば、森田草平と平塚明(ひらつかはる…後のらいてう)の逃避行の地である。
明治41年3月、草平とはるは塩原温泉に駆け落ちし、心中未遂事件をおこす。
雪の尾頭峠でさまよっている所を警官や地元の人々に発見され一命をとりとめたという。
 
草平は夏目漱石の門下生で、与謝野鉄幹が主宰する女子学生が文学を学ぶための「閨秀文学講座」で講師を務ていた。
この講座に聴講生として通っていたのが平塚明である。
草平は妻子の有る身、明は文学を愛する女学生。
二人は遺書を残し、塩原に死に場所を求めて旅立った。
 
 
 
 
森田草平『煤煙』
森田草平『煤煙』
事件後、マスコミはこのスキャンダルに飛びついた。
いいところのお嬢様と、夏目漱石の門下生の文学士という二人が心中を計ったということで、あることないこと書きたてたという。(今も昔も変わらないですね)
草平は翌年、事件の顛末を『煤煙』というタイトルで朝日新聞に連載した。
尾頭峠の麓、上塩原の旅館「和楽遊苑」に、『煤煙』の碑がある。
塩原事件から半年後に朝日新聞に連載された夏目漱石「三四郎」のヒロイン、知的で美しく、自由奔放な”美禰子”は、らいてうだと言われている。
 
明はというと、女性文芸雑誌「青鞜」を刊行する。
「元始、女性は太陽であった」
というフレーズは、社会に強烈なインパクトを与え、女性解放運動や平和運動に取り組んでいく。
また、”新しい女性”は私生活でも発揮し、数々の武勇伝を残している。
 
ちなみに、「相手の女性よりも年下の恋人」をつばめと呼ぶのは、平塚らいてうの手紙に由来するらしい。
当時らいてうと付き合っていた5歳年下の青年画家奥村博史と親しくなり、青鞜のなかでさわぎになった時、
「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」
という手紙を出してらいてうの元を去ったと言う。
しかしらいてうが、
「燕なら春になると帰ってくるでしょう」
と返信し、再び共同生活を始め、最終的に結婚している。
 
 
3月8日は「国際女性デー」
世界各国の議会で女性議員の占める割合、日本は165位。
先進国の中でも最低水準である。
らいてうは、どんな思いで日本の政治を見ているのだろう。
TOPへ戻る