本文へ移動

スタッフブログ

桜と紅葉

2019-03-21
カテゴリ:その他
境の紅葉
竹内まりあ、デビュー40周年を記念して、NHKで特集番組の放送があります。
11年ぶりのテレビに出演だそうです。
 
NHK総合
『竹内まりや Music & Life 〜40年をめぐる旅〜』
2019年3月26日(火)22時〜22時40分 放送
 
 
竹内まりの『人生の扉』という作品があります。
彼女が五十路を少し回ったころにリリースした曲です。
 
2番の歌詞にこうあります。
♫満開の桜や色づく山の紅葉を
 この先いったい何度見ることになるだろう♫
 ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
 ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ ♫
 
いい感じで年を重ねていきたいものですね。

 

 
 
ところで話は変わりますが、平安時代の歌人で”西行”という方がいました。
諸国を行脚し、古今集に94首も選ばれている歌人です。
栃木県にも結構ゆかりがあって、
 
 日光稲荷神社の”西行戻り石”
 大田原市法輪寺境内の”西行桜”
 大田原市芦野の”遊行柳”
 
などが有名です。
”遊行柳”などは、松尾芭蕉も訪れて一句呼んでいます。ミーハーだったんですね。
我が地元、那須塩原市にもありました。
『境の紅葉』といい、那須塩原市の史跡に指定されています。
西行が奥州藤原秀衡を訪ねた帰り、「中野楓」の評判を聞き、その地を訪ね、そこにいた美女と問答すると、美女は
「古き人の申伝へには万葉綿木と伝へて候」
と答えて姿を消したそうです。それに対して西行は、
「尋ぬれば 青葉の梢色濃くて 何もたへせぬ にしきなるらん」
と詠んで立去ったそうです。
 
西行は桜好きで有名ですが、もみじも好きだったんですね。竹内まりあとおんなじですね。
 
『願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃』
 
と呼んだ西行ですが、実際に亡くなったのは、旧暦の文治六年(1190年)二月十六日とされていますので、だいたい望みがかなったのでしょう。
今日、東京では桜が咲いたそうです。明日は旧暦の二月十六日、塩原の桜はまだまだこれからですので、テレビの桜をながめながら、西行を偲んでみました。
境の紅葉の案内板
遊行柳
遊行柳の碑
TOPへ戻る