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スタッフブログ

"ねこ”と”明治遺産”がARTでコラボ②・・・旧青木家那須別邸編

2019-03-01
カテゴリ:その他
那須塩原市ART369プロジェクト×もうひとつの美術館
 
会場の「旧青木家那須別邸」は、明治時代の外交官、青木周蔵の別邸で、国の重要文化財に指定されています。
また、元内閣総理大臣、松方正義の「松方別邸」や、日本三大疎水の一つである「那須疏水」の施設などとともに、
『明治貴族が描いた未来  ~那須野が原開拓浪漫譚~』※1
として、文化庁が推進する「日本遺産」※2として昨年度認定されました。
青木周蔵は、長州藩(今の山口県)出身で、ドイツ特命全権やドイツ公使や外務大臣などを歴任した人物です。
幕末に幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約の条約改正などでも活躍しました。
 
また、周蔵は日本のビール製造にも一役買っている。北海道の開拓長官である黒田清隆へ、ビール製造の意義や良さを手紙で書いたり、開拓使麦酒醸造所(サッポロビールの前身)の初代醸造技師である中川清兵衛にビール醸造技術習得を勧め、援助しました。
 『今日のビールが飲めるのは♫、周蔵さんのおかげです(^^♪』
 
那須別邸は、明治時代の殖産興業政策に基開かれた青木農場の中央に、農場管理を兼ねた別荘として築かれました。
青木農場は1580町歩(1571ha)、東京ディズニーランド30倍の面積を有する大農場だっそうです。
 
周蔵はドイツに赴任中、プロイセン貴族の令嬢エリザベートと知り合いました。
当時彼は結婚していましたが、様々な困難を乗り越えて結婚に至りました。
 
エリザベート
周蔵
建物の設計はドイツの建築を我国に紹介した松ヶ崎萬長で、各所にドイツ建築の影響が強く現れています。
松ヶ崎萬長は、日本人の建築家で唯一爵位(男爵)を授けられた存在で、那須別邸は国内で現存唯一の作品としても貴重なものです。
昭和40年代までは青木家の別荘として使用されていましたが、その後は長く放置されたため、建物の破損が拡大し、保存が危ぶまれていました。その後別邸は栃木県に寄贈され、県では平成8年から解体調査を行ない、同10年3月に元の位置から南東側約50メートルに移転して復元・改修したものです。
移転のため現在は建物の裏手となってしまいましたが、街道から延びる並木道の先には2本の翌檜(あすなろ)が枝を広げており、神社の御神木か、はたまたお寺の仁王様のように、館を見守っているかのようです。
浴室
ダイニング
2階への階段
2階のベランダ
屋根裏部屋
アプローチ
<ご参考>
※1:明治貴族が描いた未来
 ~那須野が原開拓浪漫譚~ のストーリー
わずか140年前まで人の住めない荒野が広がっていた日本最大の扇状地「那須野が原」。
明治政府の中枢にあった貴族階級は、この地に私財を投じ大規模農場の経営に乗り出します。
近代国家建設の情熱と西欧貴族への憧れを胸に荒野の開拓に挑んだ貴族たち。その遺志は長い闘いを経て、那須連山を背景に広がる豊饒の大地に結実しました。
ここは、知られざる近代化遺産の宝庫。那須野が原に今も残る華族農場の別荘を訪ねると、近代日本黎明期の熱気と、それを牽引した明治貴族たちの足跡を垣間見ることができます。
 
 
※2:日本遺産(Japan Heritage)とは
日本遺産ロゴ地域の歴史的魅力や特色を通じて文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定する制度です。
ストーリーの構成要素となる文化財群を総合的に整備・活用することで、観光資源として積極的に国内外へ発信し、地域活性化を図ることを目的とするものです。
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